学芸大学駅の所在地である鷹番とは、目黒区の中央部にある町名で、鷹番一丁目から三丁目までの住居表示を実施した地域のことです。北は駒沢通りを境に五本木に、南は目黒通りを境に目黒本町に接し、東は中央町、南西は碑文谷、西は世田谷区下馬に接しています。町域を南北に東急東横線の線路が通り、駅の周辺に商店が見られるほかは、住宅地として使われていると紹介されています(Wikipedia「鷹番」)。
駅の東にある中央町は、駒沢通りと目黒通りにはさまれた住宅地で、町域に鉄道駅はなく、祐天寺駅と学芸大学駅がいずれも徒歩圏にあると紹介されています(Wikipedia「中央町 (目黒区)」)。
学芸大学駅のある鷹番と、東隣の中央町について、目黒区が公表している2026年(令和8年)3月1日現在の町丁別の世帯数と人口は、次のとおりです。表の数字は町丁ごとの数で、駅のまわり全体の数ではありません。鷹番は碑文谷・五本木・目黒本町・世田谷区下馬にも接していますが、それらの町丁は表に含めていません。
| 町丁 | 世帯数 | 人口 |
|---|---|---|
| 鷹番一丁目 | 1,579世帯 | 2,654人 |
| 鷹番二丁目 | 1,966世帯 | 2,994人 |
| 鷹番三丁目 | 2,140世帯 | 3,098人 |
| 中央町一丁目 | 2,206世帯 | 3,420人 |
| 中央町二丁目 | 2,745世帯 | 4,529人 |
| 目黒区全体 | 162,729世帯 | 282,526人 |
出典:目黒区「町丁別世帯数および人口表 令和7年度(2025)」の2026年3月1日現在(住民基本台帳にもとづき、外国人住民を含む)
目黒区は、江戸時代の鷹狩りの場だった土地が、昭和2年(1927年)の東横線の開通と碑文谷駅(今の学芸大学駅)の開業をきっかけに急速に市街化され、商店街とそれに隣り合う住宅地になったと紹介しています(目黒区「目黒の地名 鷹番」)。
学芸大学駅とは、目黒区鷹番三丁目にある東急東横線の高架駅(駅番号TY05)で、島式ホーム1面2線をもつ駅のことです。2014年(平成26年)3月16日からホームドアが使われています。東横線の特急・通勤特急は通過し、急行と各駅停車が停まります。隣の駅は、各駅停車では祐天寺と都立大学、急行では中目黒と自由が丘です(Wikipedia「学芸大学駅」)。
東横線は、渋谷から横浜までを結ぶ路線です。渋谷から東京メトロ副都心線を経由して東武東上線・西武池袋線へ、横浜から横浜高速鉄道みなとみらい線へ、日吉から東急新横浜線を経由して相鉄線へ、それぞれ相互直通運転を行っています(Wikipedia「東急東横線」)。
出典:Wikipedia「学芸大学駅」「渋谷駅」「中目黒駅」「自由が丘駅」「武蔵小杉駅」「横浜駅」に記された駅番号(TY05を起点に差を数えた)
| 行き先 | 行き方 | 乗り換えられる主な路線 |
|---|---|---|
| 中目黒 | 東横線で渋谷方面へ2駅(TY03) | 東京メトロ日比谷線 |
| 渋谷 | 東横線で渋谷方面へ4駅(TY01) | JR山手線・埼京線・湘南新宿ライン、京王井の頭線、東急田園都市線、東京メトロ銀座線・半蔵門線・副都心線 |
| 自由が丘 | 東横線で横浜方面へ2駅(TY07) | 東急大井町線 |
| 武蔵小杉 | 東横線で横浜方面へ6駅(TY11) | JR南武線・横須賀線・湘南新宿ライン、東急目黒線 |
| 横浜 | 東横線で横浜方面へ16駅(TY21) | JR各線、京急本線、相鉄本線、横浜市営地下鉄ブルーライン、みなとみらい線 |
出典:Wikipedia「学芸大学駅」「東急東横線」「渋谷駅」「中目黒駅」「自由が丘駅」「武蔵小杉駅」「横浜駅」。駅数は学芸大学駅を数えず、到着する駅までを数えた値。所要時間は列車の種類や時間帯で変わるため、東急電鉄の時刻表で確かめる。
バスは、学芸大学駅に東急バスの反11系統(世田谷区民会館行・五反田駅行)が発着すると紹介されています(Wikipedia「学芸大学駅」)。
学芸大学駅の周辺の施設として、区の図書館やサービス事務所、住区センターといった公共施設と、駅の近くの商業施設が紹介されています。Wikipediaの「学芸大学駅」では、駅周辺の施設として、目黒区立目黒本町図書館、目黒区役所の中央地区サービス事務所、碑文谷公園、円融寺などが挙げられています。「鷹番」の項には、目黒区鷹番住区センターと、鷹番児童遊園(鷹番二丁目)、三谷児童遊園(鷹番三丁目)が記されています。目黒区の施設案内では、鷹番住区センターは鷹番三丁目17番20号、中央地区サービス事務所は中央町二丁目9番13号、目黒本町図書館は目黒本町二丁目1番20号にあります。
商業施設としては、2012年(平成24年)4月11日に、駅の近くで商業施設「GAKUDAI KOUKASHITA」が開業し、「学大横丁」「学大市場」「学大小路」が設けられたと紹介されています(Wikipedia「学芸大学駅」)。
| 分類 | 施設 |
|---|---|
| 公共施設 | 目黒区立目黒本町図書館、目黒区役所 中央地区サービス事務所、目黒区鷹番住区センター |
| 公園・池 | 碑文谷公園(碑文谷池)、鷹番児童遊園、三谷児童遊園 |
| 寺社 | 円融寺、碑文谷八幡宮 |
| 学校 | 目黒区立鷹番小学校、目黒区立目黒中央中学校 |
| 商業施設 | GAKUDAI KOUKASHITA(学大横丁・学大市場・学大小路) |
出典:Wikipedia「学芸大学駅」「鷹番」「中央町 (目黒区)」「碑文谷八幡宮」、目黒区「碑文谷公園」「鷹番住区センター」「中央地区サービス事務所」「目黒本町図書館」
鷹番一丁目から三丁目の全域は、区立小学校が鷹番小学校、区立中学校が目黒中央中学校の通学区域です(目黒区、2025年4月1日更新)。隣の中央町は、一丁目が鷹番小学校、二丁目が五本木小学校で、中学校はどちらも目黒中央中学校です。碑文谷五丁目と六丁目も、鷹番小学校と目黒中央中学校の区域です。
| 町丁 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|
| 鷹番一丁目・二丁目・三丁目(各全域) | 鷹番小学校 | 目黒中央中学校 |
| 中央町一丁目(全域) | 鷹番小学校 | 目黒中央中学校 |
| 中央町二丁目(全域) | 五本木小学校 | 目黒中央中学校 |
| 碑文谷五丁目・六丁目(各全域) | 鷹番小学校 | 目黒中央中学校 |
出典:目黒区「町名50音順 通学区域」(2025年4月1日更新)。通学区域は変わることがあるため、住所が決まったら目黒区の最新のページで確かめる。
| 学校 | 沿革 |
|---|---|
| 目黒区立鷹番小学校 | 1932年(昭和7年)に荏原郡鷹番尋常小学校として独立開校。1947年(昭和22年)に目黒区立鷹番小学校となった |
| 目黒区立目黒中央中学校 | 2006年(平成18年)4月1日に、第二中学校・第五中学校・第六中学校を統合して開校。目黒区中町にある |
出典:Wikipedia「目黒区立鷹番小学校」「目黒区立目黒中央中学校」、目黒区「目黒区立目黒中央中学校の統合評価」(目黒中央中学校の開校と、統合した3校)
駅名の由来となった東京学芸大学は、1964年(昭和39年)に小金井市へ移りました。一方、東京学芸大学附属高等学校は、世田谷区下馬にあり、学芸大学駅を最寄り駅としています(Wikipedia「学芸大学駅」)。
警視庁は、東京都内の町丁ごとに、1年間に警察が認知した刑法犯の件数を公表しています。認知件数は警察が認知した件数で、人口あたりの発生率ではありません。2025年(令和7年)の1年間の、鷹番・中央町・碑文谷五〜六丁目の町丁ごとの件数は次のとおりです。町丁ごとの数字で、駅のまわり全体の件数ではありません。学芸大学駅は鷹番三丁目にあります。
| 地域 | 認知件数 |
|---|---|
| 鷹番一丁目 | 2件 |
| 鷹番二丁目 | 25件 |
| 鷹番三丁目 | 74件 |
| 中央町一丁目 | 5件 |
| 中央町二丁目 | 10件 |
| 碑文谷五丁目 | 16件 |
| 碑文谷六丁目 | 10件 |
| 目黒区の合計 | 1,380件 |
出典:警視庁「区市町村の町丁別、罪種別及び手口別認知件数」令和7年(CSV)。認知件数は人口あたりの発生率ではありません。件数は町丁の広さや人の行き来でも変わるため、ほかの地域と比べるときは警視庁の同じ資料で確かめる。
碑文谷公園とは、目黒区碑文谷六丁目にある区立の公園で、約4.35ヘクタールの広さをもち、中心に碑文谷池(弁天池)がある公園のことです。目黒区の案内によると、学芸大学駅から徒歩6分です(駅から公園までの、区の案内に記された目安で、公園のどの入口までかは示されていません。歩く時間は人や道順で変わります)。昭和8年(1933年)11月15日に東京市が開園し、昭和25年(1950年)10月1日に区へ移管されました。平成13年(2001年)に公園が拡張され、公園面積は約43,534平方メートルです(目黒区「碑文谷公園」、2025年11月20日更新)。
公園の中心にある弁天池は、かつて荏原郡碑文谷村が共有する水田の灌漑用ため池で、村人の「命の水」でした。池の中の小島には、地域の人々が管理してきた厳島神社があり、冬には松の木の「雪つり」が見られると区が紹介しています。園内には、ボート場と、ウサギやモルモットとふれあえる「こども動物広場」があり、令和3年(2021年)4月1日には「憩いと交流の広場」が開園しました(目黒区「碑文谷公園」)。
碑文谷池は自然の湧水で、いまは暗渠になった立会川の水源の一つでした。江戸時代には今よりずっと大きく、野鴨が多かったため、将軍の鷹狩りの場として用いられた時期があると伝えられています。昭和7年(1932年)には、公園地として永久に保存することを条件に、池のまわりの土地が東京市へ寄付されました(目黒区「歴史を訪ねて 碑文谷池・清水池」)。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1932年(昭和7年) | 池のまわりの土地が、公園地として保存する条件で東京市へ寄付される |
| 1933年(昭和8年) | 東京市が碑文谷公園として開園する |
| 1950年(昭和25年) | 区へ移管される |
| 1981年(昭和56年) | 公園北側に「こども動物広場」が開設される |
| 2001年(平成13年) | 隣接する体育館・グラウンドの用地を加え、公園が拡張される |
| 2021年(令和3年) | 「憩いと交流の広場」が開園する |
出典:目黒区「碑文谷公園」「歴史を訪ねて 碑文谷池・清水池」
円融寺とは、目黒区碑文谷一丁目にある天台宗の寺院で、本堂(釈迦堂)が国の重要文化財に指定されている寺のことです。本堂は室町時代の建立で、桁行三間・梁間四間の単層入母屋造です。昭和27年(1952年)の改修で屋根が銅板葺きになるなどの変更がありましたが、唐様の建築手法に和様を取り入れた室町時代初期の様式を残していると、区が説明しています。指定は明治44年(1911年)4月17日です(目黒区「円融寺本堂 重要文化財(建造物)」)。
寺の歴史について、区は次のように紹介しています。仁寿3年(853年)に妙光山法服寺として開かれたと伝えられ、弘安6年(1283年)に日源上人によって日蓮宗の法華寺に改められました。その後、元禄11年(1698年)に再び天台宗となり、天保5年(1834年)に今の「経王山円融寺」と改称されました(目黒区「歴史を訪ねて 円融寺」)。
碑文谷八幡宮(碑文谷三丁目)は、かつての碑文谷村の鎮守です。創建の年代ははっきりせず、鎌倉時代に畠山重忠の守護神を、家臣筋で当地に住んだ宮野左近が祀ったのが始まりと言われています。境内には、梵字を刻んだ高さ約75cmの「碑文石」が保存されています(Wikipedia「碑文谷八幡宮」、目黒区「歴史を訪ねて 「碑文谷」の起源を探る」)。
| 場所 | 所在 | 紹介されている内容 |
|---|---|---|
| 円融寺 | 碑文谷一丁目 | 853年に法服寺として開かれたと伝えられる。本堂(釈迦堂)は国の重要文化財(1911年指定) |
| 碑文谷八幡宮 | 碑文谷三丁目 | 碑文谷村の鎮守。梵字を刻んだ「碑文石」を保存している |
| 厳島神社 | 碑文谷六丁目(碑文谷池の中島) | 本尊の弁天像は、もとは円融寺にあり、1848年に奉献されたと区が紹介 |
出典:目黒区「円融寺本堂 重要文化財(建造物)」「歴史を訪ねて 円融寺」「歴史を訪ねて 碑文谷池・清水池」、Wikipedia「碑文谷八幡宮」
鷹番という町名は、江戸時代に鷹場を見張る「鷹場番所」があったことに由来すると言われています。もとは学芸大学駅の東から目黒通りにかけての旧字名でした。「鷹場」や「鷹場前」という呼び名が変化したとする説もあると、区が紹介しています(目黒区「目黒の地名 鷹番」)。現在の鷹番一〜三丁目は、1966年(昭和41年)に鷹番町と三谷町などが合わさって成立しました(Wikipedia「鷹番」)。
碑文谷(ひもんや)という地名の起こりは、一つの説に確定していません。応永32年(1425年)の「日運記」に地名が記されています。通説は、碑文谷八幡宮に保存されている碑文石にちなみ「碑文を刻んだ石のある谷(里)」とするものです。ほかに、檜物(ひもの)をつくる職人が住んだことに由来するという説や、「秘文の谷」が変化したという説もあると、区は紹介しています(目黒区「歴史を訪ねて 「碑文谷」の起源を探る」、「目黒の地名 碑文谷」)。
駅名は、開業時の「碑文谷」から何度か変わりました。1936年(昭和11年)に東京府青山師範学校が世田谷区下馬へ移ると、その最寄り駅として「青山師範駅」に、1943年(昭和18年)に「第一師範駅」に、1952年(昭和27年)に「学芸大学駅」になりました(Wikipedia「学芸大学駅」)。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 853年(仁寿3年) | 円融寺の前身にあたる法服寺が開かれたと伝えられる |
| 1283年(弘安6年) | 法服寺が日蓮宗の法華寺になる |
| 1425年(応永32年) | 「日運記」に碑文谷の地名が記される |
| 1834年(天保5年) | 寺が「円融寺」と改称される |
| 1927年(昭和2年) | 東横線の碑文谷駅(今の学芸大学駅)が開業する |
| 1932年(昭和7年) | 碑衾町が東京市に編入され、目黒区が成立する。碑文谷池のまわりが公園地として寄付される |
| 1936年(昭和11年) | 駅名が「青山師範駅」になる(1952年に「学芸大学駅」) |
| 1966年(昭和41年) | 鷹番一〜三丁目・中央町が成立する |
| 1970年(昭和45年) | 中目黒〜都立大学間の高架化が完成し、16か所の踏切がなくなる |
| 2012年(平成24年) | 商業施設「GAKUDAI KOUKASHITA」が開業する |
| 2014年(平成26年) | 学芸大学駅でホームドアの使用が始まる |
出典:目黒区「目黒の地名 鷹番」「歴史を訪ねて 円融寺」「歴史を訪ねて 「碑文谷」の起源を探る」「歴史を訪ねて 碑文谷池・清水池」、Wikipedia「学芸大学駅」「鷹番」「中央町 (目黒区)」「碑文谷」
自由住宅の販売物件のご案内:学芸大学駅の近くの土地の物件ページを掲載しています。物件の詳しい内容は、物件ページでご確認ください。
Q学芸大学駅から渋谷へは乗り換えが必要ですか?
A乗り換えは要りません。学芸大学駅は東急東横線の駅で、渋谷方面へ各駅停車で4駅です(祐天寺・中目黒・代官山・渋谷)。中目黒では東京メトロ日比谷線に乗り換えられます。所要時間は列車の種類や時間帯で変わるため、東急電鉄の時刻表で確かめてください。
Q学芸大学駅の周辺の小学校と中学校の学区はどこですか?
A目黒区の通学区域では、鷹番一〜三丁目の全域が鷹番小学校と目黒中央中学校の区域です。中央町は一丁目が鷹番小学校、二丁目が五本木小学校で、中学校はどちらも目黒中央中学校です。学区は変わることがあるため、住所が決まったら目黒区の最新のページで確かめてください。
Q学芸大学の治安について、公的な数字はありますか?
A警視庁が町丁ごとの刑法犯の認知件数を公表しています。認知件数は警察が認知した件数で、人口あたりの発生率ではありません。2025年(令和7年)の1年間は、鷹番一丁目が2件、二丁目が25件、三丁目が74件、中央町一丁目が5件、二丁目が10件、目黒区の合計が1,380件でした。町丁ごとの数字で、駅のまわり全体の件数ではありません。ほかの地域と比べるときは、同じ警視庁の資料で確かめてください。
Q学芸大学駅から碑文谷公園までは歩けますか?
A目黒区の案内では、碑文谷公園は東急東横線の学芸大学駅から徒歩6分です。歩く時間は人や道順で変わるため、地図で道のりを確かめてください。
Q「学芸大学駅」の名前は、なぜついたのですか?
A1936年に東京府青山師範学校が世田谷区下馬へ移ったとき、その最寄り駅として開業時の「碑文谷駅」から「青山師範駅」に改称されました。学校の名前の変更にあわせて「第一師範駅」を経て、1952年に「学芸大学駅」になったと、Wikipediaに記されています。東京学芸大学は1964年に小金井市へ移りました。
街の様子は、駅からの道のりや公園までの距離、学校までの通学路を実際に歩くと、地図だけでは分からないことが見えてきます。
自由住宅では、学芸大学をはじめ東京23区の分譲地について、まわりの環境も含めてご案内しています。
住まい探しのご相談はこちらこの記事の写真はイメージ(AI生成)で、実在の場所や店ではありません。